コンサルティング
経営者が自分を見失ってしまうとき
稀代のプロ経営者であるカルロス・ゴーン氏の事件から、私たちは何を学ぶべきなのか。
前回は、経営者が本当に向き合うべきは「カネ」ではなく「成功」だと書きました。
成功は経営者にとって、必ずしもプラスだけを意味するわけではないのです。
成功との向き合い方を間違えると、経営者は周囲から神様のように崇め奉られ、
自信過剰になっていきます。
そして、自分を見失ってしまう。
それは何も、大企業に限った話ではありません。
中小企業の経営者でも、「神様」になってしまっているケースは多々あります。
実際に私はコンサルティングの現場でその実例をいくつも目撃してきました。
人のことばかり言っていられません。
かくいう私も、自分自身を俯瞰して危機感を覚えることがあるからです。
自分の中に「傲慢の芽」が育ちつつあった
私も経営者としてそれなりに経験を積み、40代後半になりました。
その影響もあって、若い頃とは違う感じ方をするようになってきています。
例えば、若い頃はセミナーなどに通って人に教えを乞うことに、
何の抵抗もありませんでした。
しかしいつの頃からか、勉強したいことがあってセミナーに申し込もうと思っても、
「若い人ばかり集まるんじゃないかな……」などと
今まで気にも留めなかったことを気にするようになりました。
知り合いの経営者に相談するのに、気が引けてしまうこともありました。
他に相談できる相手なんていないのに。
私は、そんなことを感じるたびに
「お前も偉くなったもんだなあ」と自分に言い聞かせるようにしています。
「たかだか40代後半で、何を驕っているのだ」と。
自分の中に「傲慢の芽」が育ちつつあったことは否定できません。
いざというときに経営者である自分を俯瞰できるかどうか。
それはとても大事なことだと思います。
これは役職者が「部下は手下だ」と思い、ふんぞり返ってしまうことと同じです。
経営者がそうなってしまっては、もう社内では誰も止められないのです。
驕りが原因で失脚してしまった人も
知り合いの保険会社の社員で、ものすごく仕事ができる人がいました。
肩書きは「支社長」でしたが、ずっと好業績を叩き出し続け、
いつしか役員待遇となっていました。
しかしその人は、会社の金を使いすぎて失脚してしまったのです。
振り返れば「あれがそうだったのかな」と思う場面がありました。
ものすごくバイタリティのある人で、「いつ寝ているのかわからない」ような人でした。
実に行動的で、取引先との接待では常に高級店を選んで、
派手にもてなしていました。
そうした金遣いの荒さが仇となり、
それまでに築き上げてきた実績がすべてパーになってしまったのです。
もしかすると、その人を妬んでいた「敵」が社内にいたのかもしれません。
成功すればするほど、妬みも買ってしまうもの。
出る杭を打とうとする人もいたでしょう。
しかし失脚の一番の原因は、
驕り高ぶる自分を俯瞰できなかったことではないかと思うのです。
地位や実力が上がるほどに、誰しも驕りをもってしまうものだと思います。
そんな時こそ、自分をどれだけ客観的に見ることができるかが、
今後の明暗を分ける鍵となるのです。
(安東邦彦)