【安東の経営者ヒストリー】
「戦う場所」になってしまった会社の中で
即戦力になってもらうことを期待して人材採用を進める安東は、思うように成長しないメンバーに対して厳しい言葉を投げ続けました。社員にとって会社は、「安心して居られる場所」ではなくなっていきました。
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大阪出身の安東は、東京は出稼ぎの場所だと決めていました。「次の正月に帰省するまでやりきろう」「次のお盆まで頑張ろう」。そんな風に自分を叱咤しながら、次に大阪へ帰るまでの半年間、息を止めて走りきるような感覚で、必死で仕事をしました。
会社を起こしたはいいものの、すべて初めてのことばかり。分からないことだらけの中、気を抜いたら会社が潰れる。来年には存続できていないかも知れない。そんな恐怖心と戦いながら、毎月を過ごしていました。
自然と社員に対する風当たりも厳しくなります。社員に対して、高いレベルの仕事を要求し、その要求にこたえられない社員に、厳しい言葉(ときには暴言も)を浴びせることもありました。
「何回、同じことを言わせたら気が済むねん!」
「もう、ええ加減にせーや!」
「やる気あんのか!」
「ちょっと考えたら、分かるやろ!」
それでも安東は、会社を大きくして、利益を生み出すことで社員を幸せにできると信じていました。もちろん、社員に厳しく言うだけではなく、自分自身のことも追い詰め、社員のために命がけで戦っているつもりでした。
当時は社員だけでなく、提携しているコンサルタントとも関係は悪く、互いに腹の中では「上手に相手を利用しよう」と考えながら、表では笑顔で接しているような間柄。
仲の良いメンバーの集まりではなくなったときに見えてくる問題があります。誰も助けてくれず、一人で戦っている孤独感。当時の安東には、周りが敵ばかりに見えました。
そんな社長の姿を目の当たりにして、社員は安穏とした気持ちではいられなかったでしょう。「会社とは安心できる場所ではなく、戦う場所なのだ」。そんな悲しい認識が広がっていたのかもしれません。
そんな場所に長くいたいはずもなく、社員はどんどん辞めていきました。