ブレインマークス代表の安東は、24歳で初めての起業に挑戦しました。なぜ経営者を目指したのか? 中小企業経営者を応援し続ける今につながる、安東の原体験をご紹介します。
安東の父は、社員数100名ほどの建材卸売企業を経営していました。その背中を見て育ち、中学生の頃から「いつかは自分も起業したい!」という夢を抱くようになったのです。
父からは「会社を継げ」と言われたこともありましたが、拒否。父よりも若い年齢で起業し、父よりも成功したい……。そんな野望を胸に秘めていました。
大学卒業後は、建設機械レンタルを手掛ける企業へ入社した安東。理由は、ベンチャー気質があり、「社内起業制度」を設けていることでした。しかし入社後にバブル崩壊。社内起業制度は廃止されてしまいます。
営業マンとしてがむしゃらに働き、入社1年目で全社のトップ5に選ばれたこともありました。しかし、ただただ頭を下げて歩き、卑屈にならなければいけない仕事に疑問を感じるようになり、社内起業制度の道も閉ざされたことから、退職の道を選びました。
その後、持て余した時間で独立を真剣に考えました。資金を貯めるためにエアコン取り付け工事のアルバイトに励む日々。
とある工事先のお宅で、まだ新しい、きれいなエアコンを交換するという依頼がありました。お客さまに理由を聞いたら、「このエアコンを売っている通信販売会社の社長のファンなの。だから買ったのよ」と……。
名物社長が率いるその会社は、その後テレビショッピングで大人気となり、一気に全国区の企業になりました。そう、現在の「ジャパネット高田」です。熱狂的なファンがいる会社の存在に衝撃を受け、安東自身も通信販売事業に乗り出します。
半年間の肉体労働で貯めた300万円を元手に起業。24歳でした。